そう 信じるまま turst me 

思い込みあれこれ

サドとマゾについて考えてみた夜の日の話。

本読んでなんでもすぐ感化されるんだから~…と思いつつも

最近はなかなか考え事もしないので面白がってみる。

まぁ毎回同じようなこと言いたいだけ言ってその前後に活きるもんではないんだけど。

自分をついでに振り返ってあれこれ好き放題

おもいつくままに。

 

自分が普通ではないってのはたぶん、確か…

それともみんなこんなもん?

確かめたからどうってもんではないか。

 

自分が求める、相手との関係

パートナーを意識した時の関係

自分の目的…

 

性的な部分と、思想だけの部分をどうやったら簡潔に

分けて考えることができるのか。

もともと仕分けしてきていないから無理か←

 

自分を感じる悦びは性的な興奮へと変わるのか

分かりやすい悦びの例として、性的興奮と結びつくのか

もっと深く、生死にかかわるような部分で、

極限の喜びなのか。

喜ぶにはその前に何かが必要。

それがギリギリの恐怖なのか。

 

気絶したくなるほど、痛みの中で果てるのは気持ちがいい。

痛みから解放される瞬間の、浮かぶような感覚。

苦しくて苦しくて、我慢を越えて溢れる感覚にぞくぞくする。

目がチカチカして頭が痛くなるほど息が乱れて痙攣するとき

生き生きする。

命の実感に、感激しているのかしら…

そんな状況を作り出し、呻くさまをジッと観察し

それ以上の苦しみや痛みを与えてくれる存在に、

全てを投げ出して与えられるままに享受する、全力で。

遊びの最中でも、そんな雰囲気を感じさせる人間に

心が動く。

試されているような、そんな感覚。

って、相手にその気がないのに勝手に傾倒すると大変なことになるw

そういう予感って、同じ感覚をもっていたら相手も感じる?

それで見誤ってだいぶ勉強になりましたけど←

 

 

被虐心みたいのはもともとあったようだ。

叩かれて育ったわけではないし、いじめられたわけでもない。

自分からそれを求める傾向にあった。

直接性的興奮に結びつくものではない。

ただそれは、実験のようなもので…

どこまでやったら、どうなるのか

思いっきり拳を握って爪を立ててみたり

乾かないかさぶたを涙目になりながらえぐってみたり。

えぐって、一瞬は血が出ないけど次の瞬間じわっと

滲む様子に感動したり。

なんかイライラして~とかってことではなく

ふと思いついたことをやってみよう的な?

それがいいことか悪いことかなんて考えることはなかった

ただ、思いついたらGO。

痛みに対して好意的…ただ、歯痛とか自分由来のものは嫌いw

大けがするとか生死にかかわることは幸い無く

ここまで来ているのでかわいい好奇心だったと思う。

今はイイコトも色々知って、

実験が快楽に結びつくのはしょうがないよね。 

 

 

彼を通してどこに何を求めていたのだろう。

きっとそれは「自分」という存在の確認。

存在していてもいい、何かの役割を持たされる、

無意識の中に「許し」を求めていた。

自分の存在に対する補償のようなもの。

 

私は自分の存在の輪郭を確かめるために

彼を利用したと思われる。

恋愛云々とは別の部分で

 

わからない行為に対してなんとか名前を付けようとした結果、

お仕置きだの、支配だのっていう言葉が宛がわれたのか。

えすえむって聞いたら…

目隠しして両手足の自由を奪って、奪われて

苦痛を与えて与えられて

試練とご褒美の繰り返し…みたいな?

んで、そこには愛があって

結局最後は大好きホールドで一緒に果てる、みたいな?

終わった後に甘い反省会するとか??

それはSMプレイっていうカテゴリの一つであって

なりきりの、台本があるようなもんだと思う…。

実際、ちょっと乱暴にしてほしいなんて願望がある場合

相手にその要素が全くなければ「ここはこうして」「そこでもっとこうして」

なんてオーダーを作って、それを相手に実行してもらう。

相手には演じてもらうしかない。

行為に対して愛がいらないとかではなく、

そのやり取りには絶対に必要ではない…と思う。

いや、基本ベースは相手を思う気持ちが…

なんかしらの形であるんだろうけどそれを愛というべきか。

ウィンウィンの状態は大前提…

好きとか嫌いでやる行為ではなくて…

でもあれか、愛し合うってことには間違いないの?

愛って…?みたいになるけど。

お互いにお互いを使って確認をする??

 

「ドエム」そんな言葉では説明できない欲求でも

名札を付けるのにはちょうどいい言葉だった。

ご主人様ごっこ。

この行為はなんのためなのか。

 

サドが暴力的、病的に相手を支配する、そこには相手への愛っていうのは実はなくて、

苦しむ姿や傷つく体に自分を映して存在を確認する。そしてその存在に自分自身を叩きつける。

だからおねだりとかそういう次元じゃないとおもう、一方的でいい。

マゾも愛を感じるためなんじゃない。

痛みや苦しみに満たされていくことで自分と世界の境界線を確かめる。

どこまで受け入れきれるのかの挑戦にも思える?

…のではないかと、私の中では考える。

自分がどっちに属するのかって考えると…ハッキリしないけど

与えられて輪郭を確認する方。

 

何が人をそうさせるのか。

 

同じ人間なのに、普通に愛せないのはなぜか。

 

幼少期にかぎらず家庭の、親の愛がたりないせい?

誰にも言えない悩みをもったせい?

自己肯定ができない不安から、依存へおちる?

 

SMは依存?

 

サドは愛のない、相手を傷つけるだけの行為。その先にある満足?

その満足は何に対して?自分の考える愛の体現?

愛しているから、といえば全てが許されると思っている幻想への確認?

許されるはずだという強い思い。

いままで愛がもらえないから許されてこなかったと、感じている

自分への救済?逃避?

拒絶を許さない。

それを押さえつけて支配する=受け入れさせる、愛させる、許させる?

 

普通だったらDVだのなんだのっていって犯罪になりかねない行為

それを受け止めることが出来るのはなぜ?

受け止めるんじゃない、欲しているから?

求められることに自分の存在を感じる?

自分が許されている?

その価値。自分の価値を確かめたい。確かな確認。

相手へのアピールとして何でも受け入れるのか。

 

大事なのは、対等であること・・・?

主従とかいって一方的に相手の人格を殺すものではない。

いや、人格殺したい殺されたいパターンもあるんだけどさ

その力関係が最も重要なことではないということ。

お互いの一方通行がちょうど相互通行だといいよね←

なんて、つい、一対の考え方にこだわりがち

なんだっていい、と言ったら投げやりだけど

あ~、このへんをまだ考えきれない。

そう、考えるんじゃない…感じるんだ←

 

繁殖のため。支配の延長上に含まれていれば別だけど

それが目的ではない場合

だとすれば性的な興奮のゴールはどこなのか。

お互いの高まりのゴールに体を重ねる行為は必須ではないかもしれない。

ダメでもないしやらなきゃいけないことでもない。

お互いが相手を感じて最も高まる瞬間に果ればいい。

苦しみの中、意識を手放す瞬間にいくかもしれないし。

力の限り相手を打った瞬間に絶頂を迎えるのかもしれない。

相手を通して自分を確かめる。

その方法。

ただのオナニーじゃんってなるかならないかは

関係性の問題だと思う。

それをお互いが求めるように確認しあえる相性は必要だとおもう。

それがパートナーなんだとおもう。

どんな行為でも相手の力量を推し量る、それがお互いの欲求に見合っている。

SとMの加減でいえば…。

でないと殺しちゃうよねきっと。

全部が全部そういうハードな行為でないとしても、限界を超えるって考えたら

それくらいの把握は必須だよなー。

 

かなり散らかってるけどいいか

 

じゃあ四六時中そういうものなのかっていう話にもなる。

一定の距離や尊重はお互いに日常を保つバランスとして

必要なことだと思う。

まさか貴族様の主人と執事の絵にかいたような主従関係みたいな

そんな・・・ねぇ?

でもそういう形を作っているカップルがいても

可笑しいとは思わない。

私の求めるものとは違うから共感できないけど。

 

結局「愛されたい」

そんなところにどちらも落ち着くのか?

形はどうでも、その欲求を満たすために

手をつないだり、甘い言葉をささやきあうのと同じように

加虐で被虐なのだろうか。

どちらも違いはない…表現方法が違うだけ…?

いちいち例を挙げてあーだこーだ、型にはめてしまう。

 

生死を左右するのを任せられるくらい信頼できる存在。

その存在にすべてを委ねることこそ、自分への愛を確認する方法なのか。

委ねられる、委ねさせる、委ねる。

 

とかとかなんだの言ってるけど

テレパシーやらビビビっなんてもんでわかるわけはなくて…

そんなの一瞬で出会えるわきゃないわな。

いろんなやり取りで、手さぐりで、この深い部分を披露するのは

最後の最後であるべきなのか…。

 

もうちょっと最後鈍くなってきたので終わろう…

何が考えたかったのか。

猟奇的なサドの一方的な愛と名付けられた行為を読んで

ぞくっと興奮してみたけど、

どうじゃろ、じっさいのところどうなんじゃろ。

痛みを想像して萌えた←

ハードなもの求めるってことは変わりない…

じゃあそれが一方的だったら?

望まないものだったら?

 

…望んでいなくても、喜ぶだろうか。

追い詰められながら、自分の中にはその相手しかいなくなる。

それが、喜びに変わっていきそうな予感がする。

すべて否定されても、従順であることを褒められそこだけ受け入れられたら

そのための努力をしてしまいそう。と、同時に相手に失望されたりして。

手に入れたらつまんないものってのもあるよねー

 

全ては「自分」なのか。

答えはないけどこたえたい…

なにかが不安。

それは今野良犬だからか。

やはり何かに誰かに依存することで

自分の実体を掴むのか。

なんでもしてみたい。

この「なんでも」がどこへ向かうのか。

まぁしばらくはまた一人で実験するのだろう…