1年経っておもうこと
悲しみってのは無くなるもんでも慣れるもんでもないんだなぁ。
まだ1年だけどさ。
その傍ら、残ったじいちゃんのお見舞いを続けて分かったこと。
お別れの準備がいかに、
残る人間にとって大切なことか。
じいちゃんは、
今日が最後だと思って生きているけど、
次会う時はこうだな、って約束して別れる。
私は、握手をしてわかれる。
最後の挨拶と、元気を分けるため。
じいちゃんを応援するのと、自分も頑張るという約束を心でしてる。
ばあちゃんとは、
お別れも、
その先の約束もできなかった。
もう、あった時は死んじゃってて
返事もしてくれなくて。
後悔とかじゃなくて、自分のための、
この先のための、心の準備がなにもできない。
っていう、答えにたどり着いた最近。
何かひとつ、心の中に欲しかったと思ってる。
アレしてあげればよかったとか、後悔も時間が経ってちょいちょい思いつく部分はあるけど、それは大きな問題にはならない。
そうじゃなくて、空に語りかけられるような、
心に1つでも、握りしめられる石を置いておきたかった。
今から置くことも出来るけど、
何のやりとりの思い出もない石は、きっと風化してしまいそうで。
もしかしたら、
思い出せないだけで
なにか約束してるかもしれない。
約束じゃなくても、
なんか、褒めてもらってたり
お前はここをのばすんだよって、
言われてたことがあるはずだから…
それをちゃんと思い出して、
大切に育てて、
見ててねって、やりたい。
そうすることで、この悲しみを力に変えられたら。
こんだけ悲しくて、寂しい思いを1年も、きっとこの先も続けられるくらいのエネルギーがあるんだからこれを利用しない手はないよね…(笑)
この前、ふと思ったんだよね。
ばあちゃんと約束したから、ね。っていう繋がりみたいのが欲しいくなってしまった。
じいちゃんとは、ただ漠然と頑張るってだけだけど(笑)
具体的に、私はこれ頑張るよって、そう言ってじいちゃんを頑張らせるのは辛い気もして。
何がどうって説明するのは難しいけど、
じいちゃんには少しでも楽になって欲しい。
彼が思うままに過ごせるように。
もうほんとに、残された時間、だから。
きっと、介護する家族は大変だろうし、
じいちゃんの思う通りにしてやって欲しいなんて無責任なことは言えない。
言えないけど考えてみてほしいとは思ってる。
あとから後悔だけはすんなよって上から目線で言ってやりたい(笑)
なんでもそうだけど。
ほんとに、後悔だけはどうしようもない。
後悔には必ずポイントがある。
あの時、ってのがある。
人に言われてどうこうするもんじゃないけど。
ばあちゃんを失くして、こういう事に囚われがちになったかもしれないけど…
それでもいい。
頑なでも生きづらくても、
自分が納得出来る1日にしたい。