そう 信じるまま turst me 

悲しいきもち

川崎の悲惨なニュースに、目も耳も心も痛い。

突然奪われた命と、無責任に絶った命。

 

何をどうやっても戻ってこない命。

何の前触れもなく、消えてしまった存在。

 

辛い。

それがどれだけつらいか知っているから、つらい。

 

どんなに泣いても、

どんなに憎んでも、

どんなに後悔しても、

何も、取り返せない。

時間が流れても、元通りにはならない。

 

泣き叫ぶような、激しい感情が落ち着いたとしても、

心の中に真っ暗な場所がある。

一生忘れることも、元通りにすることも、できない。

 

犯人の動機が分かったところで、どうにもならない。

世間が、いくら安全対策を考えようが、過去は解決しない。

 

起きてしまったことに向き合わされて、傷をえぐられるだけ。

 

バスなんか使わないで、自分が送り迎えをしていれば・・・

この学校じゃなかったら・・・

考え出せばきりがない後悔に終わりも答えもない。

 

ばあちゃんへの感情を呼び覚まさないためにも、私はこのニュースから目を背ける。

どれだけ酷い出来事だったかなど、議論したり推察することを拒否する。

 

なんであんなひどいこと…なんて、犯人を非難してみても、命はもどらない。

話題にすればするほど、かえってこないという現実だけがより鮮明になっていく。

それがわかっていて、わざわざ感情を波立たせたくない。

中途半端に浮かび上がった怒りや悲しみを、また落ち着かせるのは大変だ。

 

絶望を知らなければ、テレビのコメンテーターのように犯人像や背景、

今後の予防策などを自由に考えて意見交換をすることができるかもしれない。

そうしていることを、責めたりするつもりもない。

 

でも、失った当事者になると、やっぱちがう。

なにか大きな使命を背負い、目的に向かって一切の挫折も許されないような立場でもない。

 

どうしようもない絶望からは、逃げるのが一番だと思う。

「しょうがない」そう、割り切ったふりをする。

私は、そうすることで絶望の収納場所をつくることでやり過ごす。

そうしないと、つぶれてしまう。

いっそ死んだ方が楽に思える。

 

遺族の方々に対して、かけられる言葉なんてあるわけない…

励まされても、応援されても、何にもできないと思う。

絶望の先輩として、寄り添うことしか浮かばない。

同じ絶望はないと思うけど、似たような絶望の経験者として、

絶望しながら生きていること、今はすべてが真っ暗でも、

その闇が小さくなる場合もあることを知ってもらえればいい…いつか、そのうち。

絶望との付き合い方とでもいうべきか。

なんて偉そうに言っているけど、ほんと、苦しい出来事…