そう 信じるまま turst me 

ステータス異常

すっかり時間が経過した。

新緑から落葉の季節までをただただ過ごした。

過ごしてしまった?

もともと強くはない労働意欲が、さっぱりだ。

さっぱりとも違うか。

就職活動をしているものの、応募しては書類審査をパスできない。

書類審査が通ると、得体のしれない不安に支配されて不眠&悪夢。

幸い書類が通ることはほとんどなく、通ってもその後の連絡が途絶える等、

水増し求人の類に引っかかっている可能性もちらほら。

それでも、少しでも希望をもって応募するのだからショックゼロではない。

けれど…正直なところ、働く理由なんて食うに困らないためだけで、何かキラキラした理由や目標が何一つ見いだせない。いくらでも代わりのいる場所に、自分の時間を売りたいだけだ。買い手がつかないのは営業努力が悪いのだろうが…。

 

適応障害を発症してその後、私は今どうなっているのかわからない。

私の状態…現在はあの職場を離れたので、あの環境によって追い詰められていた不安や焦りはないけれど、ふとしたきっかけで思い出したり、当時の気分になったりすることがある。地位や立場、権限を盾に相手を責め立てるようなシーンや力を振りかざすようなものを見ると動悸と不安、今はそこに不快感がプラスされて気分が悪くなる。

例えば最近見たものだと、映画マスカレードホテルの劇中で生瀬さんがキムタクを理不尽に怒鳴りつけるやつ。あれは本当に怖かった。見ているうちにザワザワしてしまって、薬をのんだものの夜は眠れず。今まで結構好きで見ていた、科捜研の女もダメになった。組織内の派閥や被害者周辺の人間たちの叫びや怒号。なんにも引っかかることなく流して見れていたものが見られなかった。

とにかく不快で、ザワザワしてしまう。そしてその気持ちを流せないで抱えてしまう。

それを避けるため、大丈夫と知っているものばかりを選び、世界が狭まっている気がする。

 

通院はしていない。担当医はいなくなってしまったし、これ以上通院する理由がよくわからない。「何かあったらいつでもどうぞ」で終わっている。

私は当時、辞める大義名分が欲しいだけだと思っていたけれど、実際にはがっつり適応障害の症状の真っただ中だったんだと思う。当時の症状は職場に行かなくなったので落ち着いた。しかしこれは根本的な改善ではないと感じている。

なんていうか…私はもっとあの時のことについて話を聞いてもらいたいのだろうけれど、誰かにそれを語るということは憚られる気がしてうまく音にして発することができない。または、話し始めたら止まらなくなってしまうんじゃないか。自分の負の感情を相手に聞かせるなんて、と考える。

カウンセリングは、クリニックとはまた違う機関でうけるものなのか。その辺の違いがよくわからないが、カウンセラーを名乗る人に1時間いくらで話を聞いてもらうことを求めているのか…この気持ちの持って行き所というか、消化方法を探しているのか。

わからない。

わからないことを解決しようとすると、職場を思い出す。夢を見る。立ち止まる。

 

以前の私はどんな私だっただろうか。

きっと変わらない?

変わらないけど、弱い要素がむき出しの状態でもそれを隠すか庇うか誤魔化すかしていたものが、できなくなっている。とか。

気力の面でも、低空飛行、短距離走

仕事に就けないのなら、自分で収入をつくるしかない。

何ができるって…ちょっとは使える手先で作り出すしかない。

材料費をかけているにもかかわらず、完成させられない。

自信がない、集中が続かない、ない、ない、ない、ばかりが積みあがる。

 

存在価値すら疑わしくなってくるのだ。何も生み出さない、消費するだけの存在。

最近流行りのSDGsにもっとも反するような生き様。

一方で、何と私は戦っているんだろうか。

世間体、家族への姿勢、責任…

だったらなりふり構わず飛び込んでいけ、と同じような状況を見聞きしたら、私はそうやって思うに違いない。なのに、できていないのだから世話ないわ。

自己批判ばかりが強くなる。

難しく考えず、まず何が必要か。それはどうやって手に入れるのか、譲れないものはなにか、妥協できることは何か。

価値観と自分のすり合わせがうまくいっていないのだな。

5年先のことなんて今から考えていてもしょうがない。

5年前だって何も考えていなかった。

ここまでぐだぐだと1,700文字余…文字にすることで小さなバネができたような気のせいのような。

 

ま、5分後には前向きな気持ちへの反動が倍ぐらいでてきて絶望に打ちひしがれるんだけどね。