一周忌
結局、私は一年経って一歩進むどころか
立ち止まって硬くなっただけだった気がする。
悲しみを乗り越えて強くなるなんていうのは夢のまた夢で、
悲しみを振り切りたくてただ硬くなっただけの一年。
強いと硬いはちがう…私は、硬い、頑な…。
一周忌と命日を迎えて、そう思った。
親戚で集まり、お墓でお経をあげてもらって
そのまま、なおらい。
お酒を飲みながら思い出話…は、できなかった。
ただ食べて飲んでいた。
最後のあいさつでは孫トップの私に挨拶をしろという無茶ブリ。
酔ってるしなんも考えてないし、前例も経験もないので、
何も考えず法事の場でまた集まりたいとかwww
「その挨拶は間違い」とか言われても…確かに間違ったけどw
私次回は間違えないと思うよおじさん。(次回とかいうな)
言い訳をするならば、一年前からなんとなくぎくしゃくし始めてしまった親戚関係の中で、機会は何でもいいから集まることができればいいとおもっていたのが、場違いのあいさつの原因…テヘペロ☆
どんな挨拶をするのが正しかったの?
ばあちゃんへの所感を述べようとしてさえぎられたんだし、
当家に挨拶って…ごちそうさまでしたって一言いえばよかったのか…?
このような席を設けていただきありがとうございました的な?
思い出話での供養は、できなかった。
孫ラインの中で私だけなのだろうか?
私が重く引きずりすぎているだけなのだろうか…
いや、想いの重さは比べてもしょうがない。
この底なしの喪失感をどうやってみんな乗り越えたのだろう。
自分なりに納得する答えを用意して、従うのだろうか。
運が悪かったけど寿命だったんだ、とか。
考えすぎなのかなぁ
亡くなってすぐは、〇〇してあげればよかったとか、
そういう後悔はないからよかったと思っていた。
それは強がりとかではなくて自分で納得できていることなんだけど、
あとからあとから、これも見せてあげたかったとか一緒にやりたいとか
どうしようもないのにそう思ってしまう。
法事の翌日が命日。
その日は一日じいちゃんに、私と母が付き添っていた。
何か言いたげな表情というか、ずっと考え込むようなしぐさだった。
母が席を外した時に、私にぽつりと言った。
「もう終わりだよ、飲み食いできないでいては。死んだほうがましだ」
あきらめたような、客観的に淡々としゃべるじいちゃんに、
がんばれとも、言えなかった。
どうせなら最後にもう一回、めいっぱい食べてからにしようよって言った。
目の前の死を見つめながら、夕方になると時計を気にし始める。
「いつ帰るんだ」
「大丈夫、何時まででもいるよ」
「…あと、一時間」
特に何を話すでもなく、眠るわけでもなくじいちゃんは壁を見つめていた。
ばあちゃんの話もしなかった。
一年はやいねぇなんて言ったけど、じいちゃんには地獄のように長いのかもしれない。線香の一本もあげてやれないとつぶやくじいちゃん。法事の様子や、墓参りの写真と動画を確認してうなずいていた。
もともとおしゃべりではないし、シャイな人だから自分の気持ちを話したりしない。
いつも早く帰れという人が延長2時間。
何か言いたかったのかな…静かに、聞いてあげられたらよかったなぁ…。
横顔が、哀しそうだった。
いっそ、早く会いたいとか言って笑ってくれたらいい…
事故から、入院から丸1年。
1年頑張ったね、ありがとう
って、言いたかったけどお別れのあいさつみたいでできなかった。
これが一生の後悔にならなければいいが…。
私たちが悲観しているだけで、退院して食べられるようになるかもしれない。
ぼけてしまって、わからなくなってしまっていたらよかったのにと思ってしまう。
考えてしまう、現状は今以上にも以下にもならないのに。
病院から帰ってくる頃、ちょうど一報を受けて泣き叫んでいる時間だった。
そんなことをいちいち関連付けて思い出しては辛くなっていた。
事故だなんて。
死んじゃったなんて。
哀しいばかりで、
恋しくおもう、寂しい、そう思えるようになりたい。
思い切り自分勝手な気持ちを話すならば、
事故を起こした相手にばあちゃんの命を奪われ、
今度は病院にじいちゃんの命を奪われるのかと思うと、
自分の今までの行いに原因を見出したくなってくる。
まさか自分の身内が、
まさか大好きな祖父母が、
あんなに幸せで豊かだったのに、
穏やかに、夫婦そろって逝けずにこんな苦痛を残すなんて、
誰のせいにもできないならいっそ自分のせいにしてしまいたい。
私があの時誰かを不幸にしたからとか、非情なことをしたからとか、
そのせいでこうなったって責めて責めて楽になれるのならばそうしたい。
どうしたら…って今はまだまだ答えがでなさそうだ。